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2010年7月16日 (金)

第27回 「脊振山 茶談議」のお知らせ

佐賀に行ってきたばかりなので、覗きに行けないのが残念ですが・・・。村岡さんは、「佐賀県茶業史研究会」にも関わっている方です。

第27回 「脊振山 茶談議」

日時:平成22年7月31日(土) 14時から
場所:修学院  佐賀県神埼郡吉野ヶ里町坂本
テーマ:村岡 実 「霊仙寺の茶とその後の東脊振」 
参加費:諸経費として300円 勿論、「ただも良し、・・」 

概要

1191年、栄西は2回目の渡宋の帰路、背振山中腹霊仙寺の石上坊に持参したチャを播種し、それを京都栂尾の明恵上人に贈り、これが宇治茶となって全国各地の茶栽培へと発展したとされ、霊仙寺乙護法堂の境内には「日本最初之茶栽培地」の石碑が建てられています。

18世紀後期、19世紀中期の古文書からは霊仙寺界隈に約140aの茶園を推定することができます。

また、幕末の佐賀藩は軍備増強などのための交易品として石炭、陶磁器、米、臘に加えて茶、摺海老などを藩専売品として殖産興国を図りました。背振では宇治茶の導入、嬉野・諫早など他地域では釜炒り茶(唐茶)の改良に取り組みます。

明治5年、東脊振からは約80haの新規茶園が計画されますが、実現していません。明治30年頃には海外輸出向けの紅茶に取り組みますが、挫折します。現在、当地では約5haの茶園から約2トンの釜炒り茶がJA製茶工場で生産されています。

今回は、
・栄西は宋からチャを持参したのか、背振山に来たのか、石上坊にチャを播種したのか、栂農や宇治の茶は背振山からもたらされたのか、これらの伝承の出所は何か
・東脊振は「日本最初之茶栽培地」と称されながら、県内主産地の嬉野、唐津・北波多など、他地域の茶業展開に立ち遅れたのはなぜか
などを考察します。

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