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2011年8月16日 (火)

「第41回 背振山茶談議」のお知らせ

「第41回  背振山茶談議」

日時 平成23年8月27日(土) 午後2時~
場所 修学院  佐賀県神埼郡吉野ヶ里町坂本
テーマ  村岡 実  佐賀県茶業の歩み(3)大正から昭和20年までの嬉野茶業
参加費  諸経費として300円  

 これまで第36回、第37回で、嬉野茶業の黎明期から明治期までの歩みを、国内他産地の状況も併せて報告しました。今回は、大正から昭和20年までを取り上げます。
 1857年、大浦慶が当時唯一の貿易港であった長崎から嬉野など九州各地の茶約6トンを英国貿易商オールトを介して輸出しました。これから約10年間、佐賀藩も殖産興国施策として茶の輸出に取り組み、また江戸幕府は1959年にはそれまでの鎖国から開港、自由貿易に転換し、茶が輸出商品となって茶産地が拡大、発展しました。
 しかし、茶の輸出は長崎から神戸、横浜やがて静岡(清水)が拠点となり、これと相応して静岡、三重、埼玉などの産地が飛躍的に進展しました。
 国内外での緑茶の需要は宇治、静岡の「蒸製伸び煎茶」で、また明治政府は輸出用紅茶を奨励しますが、中国、インド、セイロン(現スリランカ)などとの競合から、海外市場は徐々に衰退していきました。
 このような明治期の状況の中で、嬉野茶も宇治、静岡から茶師を招聘し、研修生を派遣して「蒸製伸び煎茶」、紅茶の導入を図りますが、旧来の「釜炒茶」一辺頭が続きました。このことは、嬉野茶が国内外の主要市場には参入できない佐賀、長崎に販路を限定した茶産業の道を進み、さらに、摘採や製茶の機械化にも遅れることになりました。
 今回は、国内の主要茶産地が明治期の海外、国内茶市場で茶産業としての発展基盤を形成し、その後どのように展開したか、これに対して嬉野茶業はどうであったか、大正から昭和20年までを概説します。

 1.明治期の茶業振興とその顛末(前回までの概略)
 2.国内外の市場動向  ・・ 茶生産量と輸出量の推移
 3.機械化への取り組み ・・ 摘採と製茶
 4.嬉野茶業の特徴

 今年も暑い日々が続いていますが、当日は修学院境内では一足早い秋の風情も感じられそうです。体調に留意されて、お越しください。

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